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広報担当に至るまで
実はタクシーとマイクロバスの乗務歴が20年あります。
1992年9月パート社員としてタクシー会社に入社し3年後に正社員として採用。30年を超える勤務歴の女性乗務員が嘱託ではないのは国内でも数少ないと思います。女性乗務員の輝くロールモデルとして女性初の管理職を目指し精進していたところ、代わりに 広報室と言う新部門を設立して頂きました。
乗務員時代に自費で当社サイトを開設運営、その後も孤軍奮闘
以前の職場でプログラムの知識を習得していました。タクシー乗務員になってからもお客様からホームページ制作の相談を受け、1997年、市役所にすらホームページが無かった時代に個人でサーバーを借り装備も買い揃えて自社サイトを立ち上げました。また『地域情報のデジタル化を促進する』個人サイトも運営し、地域の方々と繋がりました。
▲地域情報サイト『Viba!中津website』(行橋市に転属し閉鎖)
社内では『出る杭は打たれる』を経験
2009年に社長がサイトを認知した事から公式認定となりましたが、良くある話で上司のパワハラを受けるようになり「出る杭を打つ」を経験。しかし私同様にサイトを立ち上げた地元企業の社長さんやお医者様などから、女性乗務員がITを独学する姿に感銘してくださり、励まされ、今日まで続ける事が出来ました。
平成初期の「ホームページで集客」は他社を圧倒するデジタル・イノベーション
個人で当社ページを運営していた時期に携帯電波も届かない地区で大型プラント「ダイハツ」の建設が始まりました。日々変更されるタクシー乗降車場所などの現場情報を掲載したところ多くのビジネスマンからリンク承認依頼に添えて「タクシー会社のサイトに驚きました」の言葉が寄せられました。
▼旧サイトの案内欄
▲スマホも無い、Googleマップも無い当時、現場のCG地図や周辺ホテルの写真や電話番号などを紹介したところ『助かりました』の声が多数寄せられました。
中津駅では他社の乗務員から『ダイハツは、み~んな太陽や』と言われるほどの効果を得ています。今思えば、これこそが当社初のデジタル・イノベーションだったのではないでしょうか。しかし社内で誰一人知る人もない孤軍奮闘物語の始まりでもありました。
ダイハツ運賃定額制の秘話
工場の建築後半に地区会(タクシー公的組織)で『ダイハツへの料金がまちまちで使い難い』と定額が設定されました。推測ですが集客の片寄りに当社への値引き疑いがかけられていたのでは無いでしょうか。デジタルの力を認知できるエビデンスが遠い過去にありました。
▼試行錯誤したデザイン
上場企業勤務時代の経験から「苦情窓口」設置。逆襲の序曲。
当社サイトに苦情窓口を作成したのは無知なる管理職への逆襲でした。しかしながら私自身は上場会社勤務の経歴があり、その経営方針から苦情が宝である事を知っており、管理職によって揉み消される事のないよう苦情メールは社長のメールボックスに直接落とし込むシステムで作ったのです。もちろん渉外課の課長が怒鳴り込んで来ましたが、一歩も譲らず現在も運用中です。
2014年広報室設立
『乗務員身分』を念押しされての本社転属
タクシー乗務員の私に公式サイトが任されて2年目、入社から20年目の2014年5月、『本社へ』と声をかけて頂き、乗務員同等の身分(事務員ではない)を確約され大分県中津市から福岡県行橋市へ片道30kmの高速道路通勤が始まりました。広報係就任については実家がデザイン業を営んでおり広告に関する法律知識を持ち合わせていた事から企業をお任せ頂く自信がありました。と言うわけで組織の都合上、日常は乗務服を着用しています。
▲乗務服は自分がモデルになれるので便利です。
初期は一般的広報係、その後は大手コンサルと共同企画
着任当初は9事業のホームページ構築と運用、社内取材と新聞発行。また色々な会議や集会に出席し当社のPRを実施。
市町から名指しで大手会社と企画協働
会議など招致から自治体や団体企画に個人で手伝いに行くなどしていたところ、人材を評価され、県や市の担当から直接紹介を受けて大手コンサル数社とバス・タクシーの企画を協働するようになりました。勿論、社内に協力者はありません(理由は上部の記事をお読みください)、昼夜休日を問わず走り廻り企画の不備をカバーしました。今は若手管理職の育成の為、以前のような活動はしておりませんが、相談は続いており業界に私の名前が残っている事を実感しています。
インターネット管理者不在。管理業務を代行。
インターネット管理者であった課長退職後の後任か?と思っていたところ、知識を保有する役職が管理部門におらず、空席のまま「メール管理」「サーバー管理」「IP管理」を広報室が代行しています。これは組織的合理化では無く単なる役職不在。
ホームページ製作を事業化?現実無理
WEB事業のコンサルが社長を訪問し、私を専任マネージャーにして地域のWEB広告を請け負えば年間1000万円の売り上げを確約すると言う提案が持ち込まれました。私はやる気満々でしたが、社長は『専任には出来ない』と回答し商談は決裂しました。私は単なる内勤なんだと自覚した件でもあります。
看板屋として事業化?現実無理
ネット印刷や大型プリンターを使って、業者委託していた印刷物や看板を内製し、車両の外装まで広報室で手掛けるようになりました。社長は看板を事業化したいようでしたが、私の実家が看板屋だけに重要な問題を提起しなければなりません、ます自社看板の納税を、話はそれから。
第2のデジタル・イノベーション「社内専用サーバー」構築
業者依存の共有サーバーをコストカットから解約し『不便』との声を聞いて、廃棄されたパソコンを使った共有サーバーを構築しました。データを置いておけば社内のどこからでも取り出せるペーパレス化イノベーションで、現在も各営業所で使って頂いていますが、この作者は私ではないようです。いよいよ不都合な存在なんでしょうねぇ。
何故、作業報告書を公開しようと思ったのか?
社長『社外の営業に見せたい』
広報室の報告書は「分かりやすく(興味深く)伝える」をモットーに作成していたところ、社長より社外の営業などにも見せたいと要望があり、2017年に個人でサーバーを借りて『スマホで書けるリアルタイム報告書』を開発、他社様のイノベーションに寄与できると意気込んでいたところ、社長の自慢で終わってしまったようです。
私はスーパー平社員
『給与を倍出してもウチに欲しい』
最近は「ただの平社員です」とPRしています。すると『給与を倍出してもウチに欲しい』など社交辞令を頂き、ちょっと嬉しいです。
社内では社長認定の「何でも屋」
今は内製化を中心に業者委託だった印刷物や看板などの作成やWEB化による郵送コスト削減、パソコンの電話サポートから引き取り分解修理までやっています。すると社長から「1人で3人分働く何でも屋」の異名を頂戴しました。やっと社長の思惑に準ずる社員になれたようです。上場企業並みの高度な営業企画に挑戦する必要なんて無かったんですね、今までの苦労は無駄でした。
社外では理事や大学開発チームの一員として
外部では観光協会の理事に就任、役員にも任命され意欲的に企画立案と調整を行い、市内文化財の運営委員にも着任して運営改善に尽力しています。また大学情報処理系学科の開発メンバーの一員としても承認を受け、会社は関係なく現地スタッフとして実働をお約束しました。
内部と外部の違いですが、内部では営利企画であっても嫌がられ、外部では提案の協力者が必ずいます。一人で出来る事は限られていますので、成果も大きく違って来ますね。
あとがき「選んだ道に悔いなし」
10年前に管理的役割に任命されていたらDX化を一人で完成させた。
数千万円の高価なシステムがAccessで作られている事を知り、自分にも作れると確信したのは乗務員時代に長期休暇の事務員の代役をした時でした。その仕事を私に任せた管理職が昇進し『課長にしてやる』と確約してくれたものの逝去、後に続く管理職は『俺の女になるなら…』と言ったタイプだった為、転職に希望を抱いたのが人生後半です。
現在の管理職は集団浅慮『心を無にしてロボットのように働く』
集団浅慮(しゅうだんせんりょ)とは、衰退しつつある組織に見られる社員の精神状態。営業所のトップである管理職から『我々は心を無にしてロボットのように働くのみ』の言葉を聞いた時、自社に氷河期が来た事を確信しました。
腐るな!外に目を向けろ!
私の心が完全に外に向いたのは、ある女性管理職のスキップ昇進の瞬間を見た時です。酒席で社長の手からグラスを奪い、唇からお酒を垂らしながら関節キッス…その場で高い地位が約束されました。あの場面は忘れないですね。
人生に後悔はしていませんが
会社は経営者を見て選ぶべきだと思っております。
END
PR。提案の具現化をモットーに活動中。
PHP言語による自動化システムを開発しています。DX化に前向きな団体様や事業者の方々へ協働開発としてご支援しています。
●ブログでの広告収入を得るご指導を開始(2022.12)
起業された方かたの相談で、ホームページ費用を軽減する方法としてGoogleアドセンスの広告収入を勧めました。人気が出なくては収入に繋がりませんので、ご本人のセンスが必須なのですが、学生の息子さんを巻き込む方法もお話しています。
●HP作成「議員さんよりWEBの活用の相談を受け」(2022.11)
運用中のFC2無料サーバーが効率的ではないため、当サーバーに移設しご支援しています。安価で所有できるホームページの作成をアドバイスしています。
●自動化システム「130件の会員ページを作りたいが時間や人手がない」(2022.08.21)
データサーバーを保有されていた事から、管理用のエクセルから自動でページを生成するRPAを提案し構築設置。更に組織役員の方々に実際使って頂き『便利ですね』と感想も頂戴しています。現在も改造を継続中。
●収益化企画「協賛バナー・プログラムを開始」(2022)
『WEBで収益を上げたい』とのご相談があり、最もメジャーな『協賛バナープログラム』を提案して設置方法などをご支援しました。
●無料化「初期費用22万円・保守料年間36万円のサイトの経費を無償化」(2021)
運営団体様より財政危機のSOSを受け、ホームページの内製化をアシストしたところ業者見積の初期費用22万円と年間36万円の保守料を無償化させ、ピンチを好機に変える事ができました。
●自動化「開発中のセルフ登録兼管理システムを実装」(2021)
まだプログラミングに青さが残るシステムでしたが、直方~行橋間の4組織でリアルタイムな予約席確認が必要となり。突貫でセルフ登録型エントリーフォームを作成したところ受付作業がネット上で完結し楽だったと喜ばれました。DX化とRPA化を複数組織のご担当様に体験頂いた企画です。
●LIEN認定資格取得(2021.08)
正しいアドバイスが出来るようLINE認定資格を取得しました。
●公式LINE取得をアシスト(2022.09)
カフェ運営者から公式LINEを取得したいとの事で図解講座をWEB上に設置。『自分で出来ました』と連絡がありました。
●指定有形文化財の運営委員に選ばれました(2022)
実質の管理は市の委託を請けた事務局が行っており、執行部として諸所問題に介入し決定案を出す役員の一人です。積極的に提案しています。
●某大学の開発チームに加わりました。(2022)
ボランティアで某大学の情報処理系のプロジェクトメンバーに加えて頂きました。今後活動の公開が可能ならPRも担当したいと思います。
●動画番組の作成へ(2022)
以前から動画撮影と編集は手掛けていましたが、番組として構成できるよう勉強を始めました。企画・出演・撮影・編集の他、発声から画面デザインに至るまで多くの作業を訓練中。
将来の夢にむけて
現役引退後は高齢者のデジタル化をお手伝いするNPO法人「DXガイド」の設立を目指しています。私の引退時はスーパーシティ構想などの影響を受けオンライン受診や市町へのデジタル申請など高齢者こそIT操作が必要になるでしょう、そして、このRPA(自動機能)は人口減少の中でも生産性を上げる唯一の方法となります。私同様の初代デジタル世代(理解されなかった世代)を率いてIT機器の設定や操作などをお手伝いするボランティアを組織したい。
そして人生の最後は父の夢を継ぎ画家(アーティスト)として終われれば悔いは無し。
企画広報室/RURi tec代表
木建 るり
<スキルキーワード>Maas/GTFS/HTML/CGI/Perl/PHP/CSS/phpMyadmin/WorPress/Wix/AdobeIllustrator/HomepageBulder/TOEIC/二種免許/大型免許/簿記/その筋屋/
<当該サーバーについて>
このサーバーは個人レンタルです。Googleアドセンスとの提携により無償化し公開報告書として自社に提供しています。
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